明治時代~大正時代
明治時代の北海道開拓に伴って、小樽は重要な場所になった。
【理由1】北海道開拓の本府となった札幌に近い。(北海道の玄関口に)
【理由2】物資の供給基地として小樽湾の整備をした。(港から運ばれてくる物資を保存するために海沿いに木骨石造倉庫を建てる。
【理由3】石狩炭田で採れた石炭の積出し庫となった。
【理由4】日露戦争後に日本の領土となった南樺太の消費物資供給基地となった。
小樽は北海道の玄関として、北海道一の経済都市として発展した。
たくさんの銀行が立ち並び、「北のウォール街」と呼ばれるほどに。
この時代に海岸が埋め立てられて「小樽運河」が誕生。
昭和時代
第二次世界大戦中、大規模な空襲被害を受けなかったため、市内の歴史的建造物が多く残った。
終戦後、復興の拠点港として機能したが、主要産業が衰え、小樽は勢いを失う。
【理由1】ニシンの漁獲量が減少した。
【理由2】1960年頃にエネルギー改革が起こり、石炭の需要が低下した。
【理由3】道内他都市で港湾施設が整備された。
北海道経済の中心は札幌に移行。